各駅停車へるしー号

腐女子になりきれなかった腐女子

私自身のオタクEDの原因について

お久しぶりです。改名しました、免田へるすです。

お久しぶりといっても今更このブログを見ている人なんかいないと思いますが、人に向けて話しかける体でないと文章が出てこないのでお許しください。

 

さて、ここ最近オタクEDに悩まされています。

オタクEDという単語を使っていますが、なぜかこの言葉は腐女子ED的な意味で受け取られているように感じます。なんでなんでしょうか。

でも分かりやすいので、ここではオタクED≒腐女子EDと捉えて話を進めます。語弊を取り除く努力もせずにすみません。

 

友人たちには夢中になれる作品があってCPがあるのに、私には何もない。ただオリキャラとそのイマジナリー彼女を作ってオリキャラを愛でる日々です。自分がどうこうされることではなくオリキャラが愛されることが目的なので厳密には違うかも知れませんが、いわばオリジナルセルフ夢小説ですね。ともあれ、版権ものに急にハマれなくなってしまいました。つい最近までツイ●テにドハマりしていたのにふしぎなものです。飽きっぽい上に冷めたらその作品やCPについて燃え上がる感情や萌えを見いだせなくなってしまうので困ったものです。

 

と、ここまで考えて、本当は最初から気付いていたけど認めたくなくて知らないふりをしていた事実を認める必要性に迫られました。

私は元々、オタクでも何でも無いのです。

冷静に考えてみれば、公式の展開を見てCPを見出した事なんてほとんどありません。勿論全くないわけではありませんが、版権を摂取したあと二次創作の動きを調べてメジャーなCPを読みあさる、ということが大半でした。私は友人達のように、解釈に基づくCP萌えの発見をしたことがほとんどないのです。さらに考えてみれば、公式の展開から見出したCPもきっと世間の腐女子はここで考えるだろうという想像に基づくもので、純粋に作品鑑賞から見出したわけではないのだと気付いてしまいました。

つまり、ただ恋愛ものが読みたいだけの人間だったのです。

CPは恋愛ではないと友人達は言っているしそこに関しては様々な考えがあると思いますが、それについての話も合わせて次に進みます。

 

では、なぜ私は長い間自分のことをオタクだと思って生きてきたのか。

答えは簡単です。パンピ向け恋愛物語とオタク的コンテンツ(語弊しかないんだよなあ)の区別がつかないままBL二次創作を漁っていたからです。

私が初めてBL二次創作に触れたのは、小学校6年生のころでした。当時は、イナ●マイレ●ンがゴールデンタイムで放送されている時代。懐かしいですね。友人と話す中でBLという世界を知りました(私が本質的にオタクかどうかはさておいて、この世界を教えてくれた友人には感謝しています。今でも楽しいおともだちです)。

当時の感情を思い出す中で、ふと当時の自分がどんな二次創作を生み出していたのか気になって当時の自由帳を見返してみました。すると、自分の記憶と照らし合わせて冗談のような真実が明らかになりました。

おそらく当時の私は、BL二次創作のことを「片方が女になってキュンキュンする物語を展開する少女漫画」だと捉えていたのです。BLにハマってから半年ほど経って、初めて攻め受けの概念が自分が考えていたのと違ったことを知りました。当時の私は、「攻めは相手に想いを寄せる女性、受けは男性」と考えていたのかもしれません。まあ様々な考えがありますし、今の私は攻め受けどちらが想いを寄せてたって構わないと思いますが、ここで重要なのは片側のことを完全に女性と捉えていたところです。その証拠に、当時の私が攻めだと思っていたキャラクターは例外なく女装姿で描かれていました。そして妄想について思い返しても、そのキャラ2人の関係性というよりも理想的な恋愛物語ばかりだったように思います。冷静に考えれば、妄想の中ではどのCPでも物語の展開は変わらなかったし、どのキャラクターも同じシチュエーションで同じ台詞を言っていた気がします。加えて、それこそ今考えれば、当時私が好きだったCPは片割れのビジュアルが女の子っぽいものばかり。しかも、某CPの話をされて「片方が男の娘じゃなくても成立するんだ」と驚いた記憶が鮮明に残っています(関係ないけど男の娘って死語? しんどいね)。

結局私の出発点はBLではなく、恋愛に対する憧れだったのです。

 

小学校を卒業してから本格的にBL二次創作を読むようになりました。その頃にはもう男性×男性は普通だと思っていたし、小学生の頃ほどパンピ向け恋愛物語と混同していませんでした。だからこそここまで発見が遅れて面倒なことになってしまったのかも知れませんが。

しかし版権メインでの活動は、早くも中学二年生の冬に終わりを告げました。

私はそこで、本格的にオリキャラ創作にハマっていくことになります。

もともと創作は中学一年生の冬に始めていたのですが、何の刺激があったのか、中学二年生の時から何かにとりつかれたようにオリキャラの設定を考え始めました。物語の本筋ありがちな少年漫画、しかしわたしはセルフ二次創作裏設定として主人公とその相棒はデキているとしていました。

このように創作好きをこじらせ、版権にあまり興味を持たない人間になってしまいました。版権に触れる数が格段に減り、当然CPを見出す力が育つこともありませんでした。

 

ここで、現在セルフ夢小説を書いているという話に戻ります。

セルフ夢小説を書き始めて、早くも一年が経過しようとしています。夢小説といってもキャラの台詞をひたすら並べて書くだけのものですが。その内容を見直してみると、これまた恐ろしいことが分かりました。

それをすることで、私は自分が愛される妄想と好きな相手に尽くす妄想をしていたのです。そしてこの行為にBL二次創作を読んでいる時の興奮と全く同じ感情がわき上がってくるのです。なぜなのか、そしてBL二次創作になぜハマらなくなったのかを考え、あるひとつの結論にたどり着きました。

それは、「自分に似ているキャラクターを見つけられないから」です。この年になってようやく、公式が提示したキャラクター像に沿ってCPを見出す必要性を感じました。そのためキャラクター解釈を深めようと試みたところ、それまで好きだったCPのキャラクターは皆自分に似た要素を持っていたり、あるいは自分に似ているという幻覚を見ていたことが明らかになりました。そしてこれは小学生時代から変わりませんが、どのCPでもどのキャラクターでも、私の世界では同じシチュエーションで同じ台詞を吐くのです。

結局のところ自分は、自分が愛され、同時に愛する相手に尽くす妄想を、BL二次創作やセルフ二次創作、セルフ夢小説で摂取していたのです。

 

つまり、私は元々オタクですらなかった。ただ一人の人に愛されたいという欲望を抱えきれず、恋愛への憧れを拗らせたパンピの女に過ぎなかったのです。

そりゃあキャラ解釈からCPを見出すことなんてできませんよ。だってキャラ解釈したら、キャラクターが自分に似ていないと分かってしまうから。キャラ解釈なしで、CPなんてなんでもいいんです。一番多く転がっているものでいいのです。私が本当に求めていたのはキャラ同士の絡みではなく、自分を投影できるような恋愛物語なのですから。

 

だったら少女漫画なり恋愛小説なりを読めば良いじゃないか。その通りです。ですが、ここに拗らせ腐女子としての新たな一面があります。

私はBLで恋愛を摂取しすぎて、NLCPにおける恋愛メインの作品に自分を投影することができなくなってしまったのです。自分で錬成したキャラクター以外の女に自分を投影できなくなってしまったのです。

なぜなら私はこれまで、自分を男のキャラクターに投影してきたから。もっと言えば、自分を男のキャラクターに投影することを自然に続けすぎた結果、性自認は女でしたい性表現も女のストレートであるにもかかわらず、女のキャラクターに自分と近いものを感じなくなってしまったのです、おそらく。

 

このような経緯があって私は、「CPは恋愛じゃない」という考えが許せないのです。なぜなら、小学6年生の頃から私を支えていた概念が崩壊してしまうからです。CPは恋愛じゃない、と言われることは、もしかすると私にとって「お前の望んでいた恋愛は恋愛じゃない、現実世界に存在することがきわめて難しい概念である。よって、お前の望む恋愛など手に入らない」等と言われるのと同義なのかもしれません。

 

やめてくれ。私はあのような関係性がいつか手に入ることを希望に今日まで生きてきたのに。支えてくれる人は沢山いるし、家庭環境もこれ以上ないくらい良い。でも私は、いつかあんな関係性を手に入れることが人生の意義だと思って生きてきたのに、それがなくなったら目指す道がなくなってしまう。なぜ周りに愛してくれる人がたくさんいるのにこんなに愛を求めてしまうんだろう。

 

これまでハマったと思っていた作品やCP,二次創作達に申し訳ない。

私は私のオナニーのために見当違いの方向でそれらを食い尽くしたのだ。

 

もうオタクと名乗る資格はないのかもしれない。

腐女子と名乗る資格はもっとないのかもしれない。

でも今更、自分基準の「恋愛」の妄想なしには生きていけない。

どうしたらいい。

拗らせすぎてリアルの男性のことを男として見られない。自分の作ったキャラクターしか男として見られない。版権にキャラ解釈が必要と知った今、版権のキャラクターにも夢中になれない。

私は一生誰にも理解されない(させる気もない)オリキャラとの疑似恋愛を楽しむことしかできないのか。

 

恋愛の定義が私とある程度合う彼氏が欲しいな。

でも、自分のキャラクターに勝る男の人に出会ったことがない。これはきっと自分のキャラクターが魅力的なのではなく、自分のキャラクターだから思考過程までクリアに分かることが原因だと思われる。

 

原因はともあれ、ちゃんとしたオタクになりたい。どうやったらなれるんだろう。無理矢理にでも彼氏を作って自分の愛されたい欲求を沈めなければならないのだろうか。

愛されたいよね。

 

乱文失礼しました。ほんの少し落ち着きました。

人生

こんばんは、もさおです。

今日は、自分の焦燥感を少しでも落ち着けるために更新を決めました。

 

やりたいことが多すぎて困っています。

何だかんだ騒ぎつつ、サークルと部活とバイトはこのまま続けたいのです。しかし、他のやりたいことができなくてパニックに陥ってしまいました。私は1度パニックすると日常生活に支障を来してしまうのです。パニック障害ほど重くはないのですが、何につけても焦燥感に襲われてイライラと涙が止まらなくなり、愚痴を言わないと大袈裟でなく心が壊れてしまいそうになります。怖くて仕方ありません。今までは(と言ってもここまでひどいパニックに襲われたのは高2の部長期と大学生になってからだけなのですが)Twitterで愚痴を言って、何とか心を壊さずに済んでいました。ですが、ここ最近はそれによって友人たちに……いや、私が心の底から大事だと思っているただ1人に嫌われたように思い、その行為すらもパニックの要因になってしまっているのです。そのパニックでまたツイートをし、さらにパニックする悪循環……。耐えられません。だからブログに逃げてきました。

 

話を本題に戻しましょう。

 

以前述べた通り、私はサークルと部活をかけもちし、バイトもしています。さらに、授業もかなり多く取っている方だと思います(周りにはそう言われます。英語のクラスの男子に「そんなに履修詰めてるのにバイトしてるの!?」と驚かれました。意味もない優越感を感じました。その優越感がいけないのでしょうが、その話はおいおい)。何ならゼミも2つ+必修のゼミの計3コマとっています。あほですね。

つまり、時間がありません。

先ほど述べたように、わたしにはやりたいことが山ほどあるのです。

・サークル

・部活

・バイト

・授業の勉強

・英語の勉強

・高校の地歴公民

・演技を習いたい

TRPGのシナリオを書きたい

・4月のオンリーで同人誌を3冊出したい

・海外短期研修に行きたい

・さっさと運転免許を取りたい

・遊びに行きたい

・小説を書きたい

インターンに行きたい

さっと並べただけでもこんなにたくさん。じっくり考えればもっとあるでしょう。

それが焦燥感とどう関係するのか。心理カウンセリングに通いつつ自分と向き合って分かったのは、「やりたいことをできていない」状況が怖いのではないかと思いつきました。

そう、気づいたのです。私はきっと、やりたいことを全てやらなければならないという強迫観念に苦しめられているのです。やらない後悔よりやった後悔、という私の座右の銘が、こうも苦しくなるのか。しんど。

どなたか助けてください。やりたいことを全てはできないのが当たり前なのでしょうが、その事実が怖くて仕方ありません。

対策法を求めます。因みに私も、自分のことですので、カウンセラーさんにこのことを相談しようと思います。

男の子

なんだかんだで大学生になった私ですが、今日は部活の話をしようと思います。


今の私は高校の頃だったら考えられないようなアクティブな部活に入って、日々慌ただしく生きています。土日は基本的に活動で潰れ、同期たちは異性しかいません。私は女なので、実質私以外はみんな男ということになります。恐らく全員性自認と体の性が一致しているものと思われます。この段階まで来てそういった大事なことを黙っている人がいたらショックでたまりませんから、そう信じています。


私が部活を続けている理由は同期たちとの時間です。彼らといると楽しくて、下ネタは飛び交うし変に合わせる必要もないし、とても楽です。下ネタが大好きな私にはぴったりな環境と言えるかもしれません。


彼等は授業や趣味やアルバイトなど、積極的に世界に出て行くタイプの人間です。ですから、ここ最近はそれぞれがやりたいことに全力に取り組んでいる弊害とでも言いましょうか、全員揃って部活をする機会がありませんでした。本来部活としてはあってはならないのかもしれませんが……。


ですが今日、久々に同期4人が皆出席を決めました。めでたいですね。

私は同期たちと過ごす時間が大好きなので、目の前を歩く彼等を感慨深い気持ちで見ていました。

私はサークルにはおろか学部にも友達がいないのでこれは依存なのかも分かりませんが、彼等といると、やっぱりこの人たちがいい、この人たちだけで深く仲良くなりたいと思ってしまうのです。クズ野郎ばかりですが、同期が彼等で良かったと心の底から思っています。

前を歩く彼等の背中を見て、部活に入って良かったと感じました。

正直部活の活動内容にはあまり興味がなくなってしまったのですが、彼等と一緒にいたいという一心で続けるか否か迷っている節があります。


そして、彼等の中からハプニングバーという意味不明な言語が出てきた(意味は知っています)ため、私はそっと彼等から距離を置きました。

二十歳の夏

こんにちは。久々に思うことがあり、書き残したいと思ったので更新します。

自分の思ったことを書くだけならメモ帳や日記で十分のはずなのですが、なぜか私は誰かに読んでもらうという前提がないと筆が進まないのです。我ながら厄介な性質ですね。


今の私は、大学生です。

サークルと部活をかけもちし、飲食店でアルバイトをする、周りよりも少し忙しい大学生をやっています。あまり書きすぎると特定されてしまうので詳しくは言えませんが、どちらも吹奏楽に関係するものです。


サークルの合宿を終えて、今ちょうど帰りのバスに乗っています。バスの中は眠っている部員でいっぱいで、とても静かです。

私は、サークルに友達がいません。

昔からそうなのですが、私は集団に属すると何となく馴染めないままでいることが多いのです。友達どころか先輩や後輩と話すことすらままならず、とても息苦しい思いをしています。勿論、積極的に話しかけに行かない、そして話が始まったら弾丸のように話し続けてしまう、といったことが原因であることも分かっています。

ここからは、相反する二つの感情を書きます。矛盾していると感じたらそれは私の言いたいことが伝わっている証拠だと思ってください。


私は、人の気持ちを上手く理解できません。ですから、周りの言う冗談やいじりなどを言うことができないのです。なぜかと言うと、どこまでだったら言っても許されるのか分からないからです。人が傷つくポイントが分からないので、迂闊に言うと人を傷つけてしまいます。それがとても嫌なのです。

だから、話に入ろうとノリを合わせようとすると上手くいかないのです。皆さんはピンとこないかもしれませんが、サークルのようにゆるく集合した人々の会話は9割が冗談やいじりの応酬です(9割は言い過ぎかもしれませんが、体感なので盛られていると思ってください)。それが言えないと、会話に入っていくのはなかなかに難しいです。例えば誰かが夜にお酒を飲み過ぎて寝坊した時、皆さんは「ふざけんなー」というような意味合いの冗談を言うわけです(私はよく分からないので、あくまでニュアンスで捉えてください)。それが、私が言うと「それは言い過ぎじゃない?」と受け取られてしまう。でも私には何度言われてもそれが分からない。でも人を傷つけたくない。だから会話に入れないのです。努力が足りないのかもしれませんが、物心ついてから必死で周りの会話を聞いて人に興味を持つように心がけて本を読んで経験値を貯めて会話の仕方や話しかけ方も研究して、それでも分からないのなら他にどんな努力をすればいいのでしょうか。

とにかく、私はそういった理由でコミュニケーションの輪に入っていけず、仲の良い人がサークル内にほぼいないのです。


また話は逸れますが、サークルの同期たちのことは大好きだけれど、一緒にいても楽しくないということも仲良くなれない理由のひとつです。

全然嫌ではないし、寧ろみんなのことは大好きなんですけどね。

あと、話しかけに行かない理由は単純に面倒くさいから、というものもあります。


ですが、ふたつめに思ったのは「合宿が楽しかった」と言うことです。

人にはやはり上手く馴染めませんでした。半分ほどの時間を1人で過ごしていましたし、周りの同期に良く思われていないな、という感覚を抱くこともとても多かったです。活動内容はうんざりするくらい厳しくて(嫌ではないです)、楽しかったことには楽しかったけれど、ここまで楽しいと思えるほどのものではなかったはずでした。

でも、楽しかったのです。恐らく、いやほぼ確実に、人間との関わり合いの面において。

普段話さない人たちと話せたからなのか、珍しく先輩に構ってもらえたからなのか。私は同期は勿論先輩も大好きなので、それが嬉しかったのかも分かりません。とにかく、理由が分からないですが楽しかったのです。


ぐちゃぐちゃな文章ですみません。でも誰も読みませんよね、こんな文章。読んで下さった方がいたら、ありがとうございます。(以前の更新でも言った通り、中二病を引きずっているので反応されると喜びます。「誰も読んでないよね!」と書いているからと言って気をつかう必要はありません)

怖いのは、来年は楽しさと苦しさどちらが強いかということなのです。ですが、今年の楽しさの多くは先輩に与えられたものであるという可能性もあるので、来年は苦しいだけかもしれません。この苦しさだけ残るならサークルを辞めてしまおうかと悩んでいます。

ですが、楽しかった今回の思い出が「辞めたくない」って言うんですよね。ポエミーで気持ち悪いのはご容赦ください。



ご対面

遂に長年の黒歴史と向き合ってしまいました。名前も一新して、『もさお』です。

さて、私もあと少しで成人してしまいます。

 

正直なところ、このブログをコンスタントに更新する気はあまりありません。なぜかというと、SNSが発達したこのご時世にわざわざブログを閲覧する人は少ないと考えたからです。私個人に限って言えば閲覧していますが、その理由は

1.ひまつぶし

2.現実逃避

3.言い訳探し

とこのようなものです。

これ、クズだとは思いませんか。

つまり、大した情報も目的もないこのブログを見る奴は上記のようなクズばかりなのです。個人的には同じ穴の狢ということもあり皆さんをいとおしく感じておりますが、まあそんないとおしいクズたちのためにわざわざ更新する義理もないと。そもそもこれを読んでいる人間がいるかと訊かれればハッキリNOと言えますので、それこそ更新する意味なんてありません。

 

では、なぜ閉鎖しないのか。その原因は、私の未練と中二病にあります。

もしかしたら、将来ブログが役に立つかもしれない。ふと見たくなることがあるかもしれない。そして、ブログで小遣い稼ぎが出来るかもしれない。

このような浅はかな考えから、私はここをそのまま残すと決めました。

中二病めと馬鹿にする人もたくさんいるでしょう。これはもう仕方のないことです。

理由をいうとこうです。

中1のころからこじらせて成人を迎えようとしている今、私は中二病を治すことが出来るのか。……到底出来ないでしょう。

 

ここまで長々と書いてきて、着地点を見失ってしまいました。

プロの字書きというのは長い文章にどう落としどころをつけているのか。つくづく疑問です。

では、いつか私がオチのある文章を書けるようになると願って。今回は締めようと思います。

皆様、またいつか。

誰も見てないか。

 

世の中はとても不平等だと思う

見た目が良い人間は何をやっても様になりますよね。

羨ましい限りです。

 

トランペットっていいですよね。

音や見た目は勿論、正直…と言うのでしょうか。

私が吹いた時だけかもしれませんが、その時の気分が音に出る気がするんです。

そんな正直なところ?が、個人的にとても好きです。

 

ん?その時の気分が音に出るのなら、

常に綺麗な音を出すためには常に綺麗な気分でいればいいのかな?

綺麗な気分ってなんじゃらほい。綺麗な心を持てということでしょうか。

自分で言っていてよく分からなくなってきました。

 

綺麗な心で思い出したのですが、中2の頃にやたらと

「本当の心を取り戻せ!」と言う先生がいました。

元々なくしていない物を取り戻せと言われても困ります。

それが「綺麗な心を持て」という意味だったのなら、その先生にひとこと。

持てと言われて持てたら誰も苦労しません。

 

それでは今回はこの辺で。結局たいしたことを書いていないことに関してはスルーして下さい。

今更ながらチョコレート味のハヤシライスって不味そうだと思いました

とても今更。

 

テストが始まりました。勉強しろよという話なのですが、全くもってやる気がでません。

やる気スイッチなんてCMでは言っていますが、そんなものがあったら誰も苦労しないと思います。

 

今日は古典文法がありました。

今の日本語からは考えられないような助動詞や動詞がたくさん。

日本語はどのような進化をして今のようになったのかがとても不思議です。時の流れってすごい。今使っている日本語も、未来の日本では古文として扱われる日が来るのでしょうか。そう考えるとなんだか悲しいです。

 

まあ、テスト真っ最中ですので今日はこの辺で。